こんにちは。京都市聴覚言語障害センターです。「きこえサポート」では、きこえにくい当事者やきこえに関わる専門家に執筆を依頼して、「きこえのコラム」を掲載しています。
今回は、長年聴覚障害者の心理支援に携わってきた臨床心理士の若狭妙子さんによる「難聴者とメンタルヘルス」についてです。
若狭さんは、臨床心理士として支援に携わる一方で、自身も補聴器を装用している難聴者でもあります。「難聴者とメンタルヘルス①」では難聴者としての立場から、次回お送りする「難聴者とメンタルヘルス②」では支援者としての立場からお伝えします。
きこえのコラム
きこえのコラム
『難聴者とメンタルヘルス①~難聴者としての立場から~』
若狭妙子
「耳が聞こえにくい」ということは、程度の差はあれ(どんなに軽度の難聴であっても)、人の声が聞き取りづらく、コミュニケーションに大変苦労するものです。難聴になった時期は人それぞれで、子どもの頃から難聴である人もいれば、人生の途中で耳が聞こえにくくなった中途失聴者もいます。
難聴の子どもたちも、その困難さは私たち大人が感じるものと同じです。子ども同士の遊びのなかで一人ついていけず、悔しい、寂しい思いを繰り返してきた難聴者は多いでしょう。また、親やきょうだいの声も所々しか聞こえないのを「仕方がない」と諦め続けてきたり、祖父母のやさしい声かけも聞き取れずおどおどしたり、毎日の学校生活は緊張の連続なのではないでしょうか。
成人後も、職場でのコミュニケーション、電話の応対など、悩みはつきません。補聴器や人工内耳は、いくらかきこえを補ってくれますが、それでも聞きとりにくさは残ります。会話の聞き取れなかった部分は、自分の中で想像して繋げて理解するしかなく、本当に「理解できた」という自信や安心感はなかなか得られません。自信や安心感を持てないと、どんな会話も、人付き合いも心から楽しめないですよね。
このように、聞こえにくさは単に「聞こえの障害」ではなく、「対人関係のなかで起こるコミュニケーション障害」です。「相手の話を聞きたい、自分の思いを相手と分かち合いたい」と思っても、それができない悔しさ、孤独は、本当につらいですね。
難聴者の、その聞こえや生い立ちはさまざまです。ですが、多くの難聴者が抱える悩みには、共通する点が多々あります。ひとりではなかなか解決策が見つからないことも、他の難聴者の工夫や考え方を知ることで、より良いヒントが見つかるかもしれません。例えば、みなさんはどんな風に自分のきこえを相手に伝えていますか?伝え方に工夫をしていますか?また、自分とは異なるきこえの相手(ろう者や聴者含めて)と、お互いのきこえ方や体験を話し合ったことはありますか?きっと、こうした一つひとつの問いを、コミュニケーションが保障されたなかで、ゆっくり話し合ってみたいと思うときがあるかと思います。難聴者のメンタルヘルス(:心の健康、精神衛生)を考える時、そうした対話を繰り返し大切にできる場があれば良いなと、いち難聴者として思っています。
<若狭妙子>
臨床心理士。自身も幼少期から難聴があり、手帳のない難聴者である。現在は京都市聴覚言語障害センター施設福祉部に所属し、難聴者やろう者の支援にあたっている。
共著に「聴覚障害者の心理臨床②」(日本評論社)、「聴覚障害サポートハンドブックー軽度・中等度難聴編」(全国早期支援研究協議会)、「手話コミュニケーションと聴覚障害児教育」(全国手話通訳問題研究会)がある。